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運命 いのちをはこぶ


今日、粕谷神父さまの本を読んでいたら、「運命」という言葉が出てきました。「いのち を はこぶ」と書いて「運命」です。別に「いのちをはこぶ」と読まなくても良いのかもしれませんが、その時その文字を見た瞬間、そう読めてしまいました。
粕谷神父さまはほんの中で「めいをはこぶ」という観点で考えておられたのですが、わたしは、「いのち」を「運ぶ」ことがどうして運命なのだろうかと考え出しました。

「運命」を辞書で調べてみると、「人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。」と書いてありますが、「いのちをはこぶ」こととはなかなか結びつきません。そういえば「命運」という言葉もありました。同じように辞書を調べてみると「そのことの存続にかかわる重大な運命。」とあり、「運命」に戻ってきてしまいました。
もう一度「運」と「命」に分けて調べてみると、
運:その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせ
命:神託、みこと、みことのり、目上の者からの指示、指令。
ということなので、「神さまから与えられた、わたしたちには抗うことのできない出来事」という理解になります。

そう理解してみると、「あぁ、なるほど」と思う反面、わたしたちは「運命」を神さまから与えられた出来事だと捉えているだろうかという疑問が湧いてきます。そんな小難しいことを考えずに単純に「神さまのところから運ばれてきた命令」と理解したらいいじゃないかと言われるかもしれませんが、「運命」に神さまが関わっているということであれば、神さまの命令に対して受け身ではまずいだろうし、可能ならそれはわたしたちのために行われたことであることを理解したいのです。

「運命」という言葉はベートーヴェンの交響曲のように衝撃的なイメージを持っています。そして、自分ではどうにもならないことだと考えています。自分の不運を嘆くときに使うことがほとんどで、自分の意志が働かない状態になっており、その時自分自身の中から神さまの存在はなくなっています。
でも、神さまはわたしたちに悪いものを与えません。何か理由があって使命を与えられるのです。これは将来生きる糧になり、自分自身が生まれ変わるための新しい命となるはずです。わたしたちはこの「いのち」を運び、結実させなければならないのです。

良い巡りあわせに「運命」を感じることもあります。自分が出来事に翻弄されながらも、たどり着いた結果が良いものであったとき、神さまに感謝し、その運命が長く続くようにと願います。しかし、その「運命」は通過点でしかありません。その時点から始まった自分自身の新しい「いのち」を育み、みこころに従って生きる取り組みが始まるのです。

運命と思える衝撃的な出来事に出会った時、そこで立ち止まるのではなく、そこから「いのち」を「運ぶ」仕事が始まるのです。良い出来事であっても、悪い出来事であってもみこころを理解して結実させる努力をしなければなりません。運命だからと諦めたり、嘆いたりするのではなく、わたしたちは神さまの「めい」を受け、自分自身の「いのち」を背負って歩まねばならないのです。


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