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Gitanjali 3-1

I know not how thou singest, my master!

わたしはあなたがどのように歌うのかを知りません。
と言うのですが、歌い方というよりは、歌声そのものをしらないということなのでしょうか。
それなら、
あなたの歌声を聴いたことがありません。
と書く方が素直でしょうか。
自分の体を通してしか主が歌うことを知らないので、
現実には自分の歌声としてしか認識できません。
そこの源流に主が介在していることを知っていても、
主の歌声そのものは聴いたことがないということなのでしょう。

master は文字通り主人のことであるなら、これは神なる主を指しているということなのだと思います。

試訳
おお主よ、私はあなたの歌声を聴いたことがありません。




Gitanjali 2-6

これで2篇が終わりました。
成果を並べてみました。

あなたが歌えと命じてくださったので、
私の心は 誇らしさのあまり 張り裂けそうになります。
私は驚いて命令するあなたの顔を見上げました。
そんな私の眼から 涙があふれます。

私の人生で 荒々しく不協和音を奏でていたすべてのものが
あなたの優しいハーモニーの中に一つとなって 溶け込んでいきます。
私の賛美は 海を越えて故郷に戻る鳥のように喜びにあふれ、翼を広げます。

わたしは知っています。あなたがわたしの歌を喜んでくださることを。
わたしは知っています。歌い手としてのみあなたの前に立てることを。

歌う喜びに酔いしれて 我を忘れてしまい、
主であるあなたを、我が友と 呼んでしまいました。

Gitanjali 2-5

Drunk with the joy of singing I forget myself and call thee friend who art my lord.

「わたし」は歌う喜びで酔っ払ったように陽気な状態になってしまったようです。
art という単語が出てきました。これはthee に対応する Be動詞 、今なら areなんですね。

酔っ払った状態で無分別になり、主なる神に無礼を働いてしまったかもしれないと考えたようです。
神なる主との関係をすっかり忘れてしまい、主に向かってわが友と呼んでしまった。
そう呼んで、ずいぶん時間が経ってから、「あっ、しまった」と思ったのかも知れません。
我を忘れて、主に無礼を働いたことに気が付いたということなんでしょう。

試訳
歌う喜びに酔いしれて 我を忘れてしまい、主であるあなたを、我が友と 呼んでしまいました。

Gitanjali 2-4

I touch by the edge of the far-spreading wing of my song thy feet which I could never aspire to reach.

文章は1文なのですが、説明が多くて訳すのに困ってしまいます。
歌には羽が生えているようです。
歌は羽を遠くまで広げ、その羽の端っこが主の足にに触れてしまいました。
まさか、主の足にまで届くとは思ってもいなかったようです。

歌は羽の生えた鳥のようにどこまでも飛んでいくのでしょう。
でもまさか神さまのもとにまで届こうとは思いもしません。
主なる神に会いたいと思っていて、どこかでつながりをもちたいと思っていながら、
届くはずはないと思っているそんな「わたし」の矛盾が見え隠れしていそうな気がします。

試訳
私の歌は翼を広げ、その先を遠くまで伸ばします。
でもその端があなたの御足にまで届くとは思いもしませんでした。

Gitanjali 2-3

I know thou takest pleasure in my singing.
I know that only as a singer I come before thy presence.

わたしは知っています。あなたがわたしの歌を喜んでくださることを。
わたしは知っています。歌い手としてのみあなたの前に立てることを。

「あなた」である、神なる主は「わたし」である「葦笛」を吹き音楽を奏でます。
その歌声が世の中に響くことを「あなた」は喜んでおられます。
主から仰せつかった「わたし」の役割は歌い手として歌うこと。
しかも主なる神の前で歌うことでした。
神なる主の歌い手として働くことが「わたし」の喜びであり、「あなた」の喜びであるという
その関係がまた「わたし」にとって大いなる喜びであったのだろうと思います。

今回は最初に書いた訳をそのまま書いてみます。
わたしは知っています。あなたがわたしの歌を喜んでくださることを。
わたしは知っています。歌い手としてのみあなたの前に立てることを。

Gitanjali 2-2

All that is harsh and dissonant in my life melts into one sweet harmony
---and my adoration spreads wings like a glad bird on its flight across the sea.

my life をどう訳したらよいものかと悩んでいます。
不協和音だと思えていたことが甘いハーモニーに変わっていったのでしょうから、
神なる主との間に不協和音があったけど、それが一つの調和に変わっていったということなのでしょうか。
とすると、これまでの人生の中で生じた神なる主との間の不協和音ということでしょうか。

adoretionはどう考えたいいでしょう。
神なる主への憧れということでよいのでしょうか。
主への賛美という言葉で表してもよいのかもしれません。

glad bird on its flight across the sea
も説明が多くてどうやって訳したらよいか悩みます。
今羽を広げて飛び立とうとしている渡り鳥は故郷に帰ることができる喜びに満ち溢れています。
「わたし」もまた歌の翼を広げて、神のもとに帰ろうとする喜びに満ち溢れている
すいうことを意味しているのではないかと思えます。

フィリピの信徒への手紙3章20節
わたしの本国は天にあります。
というみことばを思い出しました。

翼をもっていないわたしたちですが、神から与えられた賜物で翼を広げることができるのかもしれません。
そうやって翼を広げて、主のもとへ飛び立つことができるのなら
大いなる喜びに満たされそうです。

試訳
私の人生で 荒々しく不協和音を奏でていたすべてのものが 優しいハーモニーの中に一つとなって 溶け込んでいきます。
私の賛美は 海を越えて故郷に戻る鳥のように喜びにあふれ、翼を広げます。

Gitanjali 2-1

2篇に入ります。

When thou commandest me to sing it seems that my heart would break with pride;
and I look to thy face, and tears come to my eyes.

あなたが歌えと命令したとき、
プライドで、わたしの心は破れそうになった。
あなたの顔を見ると
私の眼には 涙があふれる。
直訳するとこんな感じでしょうか

主がこの歌い手である「わたし」に歌をうたうことを命じました。
主が息を吹き込まれることを知っているこの歌い手にとっては、至上の喜びであったはずです。
命令されたことを誇らしく思ったことでしょう。
心は張り裂けそうになったことと思います。
そして、命じた主の顔を見上げると、顔をあげているのに涙があふれてくる。
そんな情景が思い浮かびます。

試訳
あなたが歌えと命じたので、 私の心は 誇らしさのあまり 張り裂けそうになります。
私は驚いて命令するあなたの顔を見上げました。 そんな私の眼から 涙があふれます。


Gitanjali 1-7

やっと1篇が終わりました。Gitanjaliは103篇まで続きます。
英語が苦手なわたしがどこまで頑張れるでしょうか・・・。

ここまでの成果をまとめてみると、こんな詩になります。

あなたはわたしに永遠の命を与えてくださった。
それはあなたの喜びでもありました。

あなたはこの脆い器を空にしては、
また新たな生命を与えてくださいます。

あなたはこの小さな葦笛を携えて丘を越え、谷を越えて行き、
新しい生命の歌を吹き鳴らされる。

不死の力を持つあなたの御手に触れて、
わたしの小さな心は張り裂けそうです。
わたしが発した声は言葉になりませんでした。

あなたが無限に与えてくださる永遠の命は、
わたしの小さな両手でしか受けることができません。

あなたはずっと永遠の命を注ぎ続けてくださるのに、
わたしの手からあふれることはありません。

いかがでしょうか。

Gitanjali 1-6

Ages pass, and still thou pourest, and still there is room to fill.

歳月は過ぎ、あなたはまだ注がれる、そして、まだそこには余地がある。
こんな直訳でしょうか。
時間がたっても、主は永遠の命を「わたし」の手に注がれています。
しかもそれは前の文章で小さな手だと言っていたのですが、
ここではそれがいっぱいになることはないと言っています。
いったい何が起こったのでしょう。
3番目の、空にしては与えてくださるという文章と関係しているのかもしれません。
「わたし」の何かによって与えられた命は失われ、手から漏れていってしまいます。
しかし、それを補うように主は新しい命を与え続けてくださる。
そんな感覚なのかもしれません。

試訳
あなたはずっと永遠の命を注ぎ続けてくださるのに、わたしの手からあふれることはありません。

Gitanjali 1-5

Thy infinite gifts come to me only on these very small hands of mine.

わたしへのあなたの無限の贈り物はわたしの小さな両手にしか受けられません。

無限の贈り物は永遠の命のことなんだと思います。
無限の贈り物なのですが、それは小さな手でしか受けることができない悔しさがあるのでしょうか。
もっと受けたいという思いもあるかもしれません。
もっと近づきたい、もっと心に響く歌を歌いたいそんな思いが込められているのかもしれません。

試訳
あなたが無限に与えてくださる永遠の命は、わたしの小さな両手でしか受けることができません。