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愛を示す

フランシスコは四旬節の書簡で
愛は所有するすべてのものを分かち合い、コミュニケーションによってそれを啓示します。と述べられました。
愛について、わたしたちはもっと考えてみるべきなのかもしれません。

愛するためには相手が必要です。当たり前のことですが、それすら分かっていないのかもしれません。一人でどれだけ頑張っても、一人で愛を実現することはできません。自分の考えだけで相手を愛することはできないのです。つまり愛することは相手の考えを理解するところから始まります。

考えを理解することは簡単ではありません。自分の思う愛と相手の考える愛は往々にして違います。自分の考えを押し付けず相手の考える愛の形を実現しないと相手は愛してくれたとは思わないでしょう。時には自分の考えを押し殺さないといけない時もあるでしょうが、その人に愛を表現しようと思うのであれば、コミュニケーションによって相手を理解し、相手をそのまままるごと受け入れる態度が必要だということになります。

金品を分かち合うことによって愛が表現できるでしょうか。たしかに愛した証しとして贈り物をしたり、財産を共有したりすることで愛していることに対する信用を得ることができるかもしれません。ただ、それは目に見える形にしただけのものであり、そのこと自体が「愛」というわけではないはずです。

愛の行為を具体的に考えてみた時、相手の愛が分かるのは苦しい時かもしれません。苦しい時に心の支えとなってくれる人にこそ愛を感じるのではないでしょうか。ひょっとすると愛は苦しみを相手と共有する中に存在するということなのかもしれません。

パウロは「コリントの信徒への手紙」の中で
愛は忍耐強い。愛は情け深い。嫉まない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。


と書いているのですが、相手を理解するところから始めて、相手を受け入れ、自分を押し付けず、代償を求めずに相手に寄り添って支え続ける姿勢が感じ取れそうです。



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