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14言葉の余韻


同じことを誰かに協力してやってもらう方法もあります。読んだ声を誰かに聞いてもらいます。「ここはちょっと違う」とか「ここはいい感じ」という意見をもらい、少しずつ直していきます。それによって、自分の感覚と人との感覚の差が分かるかもしれません。
人の読んだ声を聞いたら、読んだ人の声の余韻に目を留めて、自分の読み方と比べてみましょう。きっと言葉には言い表せない感覚が生まれてくるはずです。
聖書は長い時間の出来事を短く書いてあります。出来事の時間と同じようなスピードで読むことはできませんが、言葉と言葉の間の出来事を十分想像できるくらいの時間があってもいいはずです。言葉の余韻を聴き、言葉と言葉の間を確かめて、聖書のことばを考える時間をできるだけ多くすることによって、深く読むことができるはずです。
<第14話おわり>

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14言葉の余韻①


聖書から印象的な箇所を抜き出すために、声に出して読んでみたらどうでしょう。さすがに街中や職場で声に出して読むわけにはいきませんが、教会や、自分の部屋であれば、周りに迷惑にならない程度に声を出して読んでみることができます。
その時、自分から発せられた言葉を自分の耳で聞くようにします。先を急がずに自分の声を聞いてから次の箇所を読みます。言葉の余韻を聴くのです。言葉の余韻には言葉には表せなかった感情が含まれています。その余韻を意識すると、また違った感覚が生まれてきます。
聖書を読んだ箇所の余韻から感じられた感覚は、目で読んだ感覚と同じでしょうか。それとも違う感覚を感じたでしょうか。もし違っていれば、もう一度声に出して読んでみましょう。自分の頭で考えている感覚と、耳で聞いた感覚が一致するまで読んでみましょう。
自分の感覚を言葉に言い表すことは難しいかもしれませんが、五官をフルに使うと感覚が研ぎ澄まされ、いろんな発見があるはずです。読み方を変えてみることによって、自分の感じていることが明確になって来るかも知れません。
<つづく>

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13言葉の印象③


読んだ箇所から、印象深いと思った単語を書いて、自分はその単語に対してどう感じているかということをはっきりさせると、自分の意外な感情が明らかになります。もしその箇所を最初に読んだ印象とずいぶん違ったものであれば、その差を書きだすと、その人独自の心を表したものになるでしょうしあぶりだされた自分の心の意外だと思うところを書きだしても、感想になっているはずです。それはその日だけの感想かもしれません。それなら、その日にあったことを書いておけば、出来事と、心の動きを分析するものになっているかもしれません。いずれにしても立派な感想になっているはずです。
せっかく読んだのだからということで、全てを網羅して、感想を書こうと思うと大変なことになってしまいます。それよりも、今日の気分に合わせて、共感できるところを心に留めて、自分の気持ちを書き表した方が、よっぽど深い感想が書けるはずです。
<第13話おわり>

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13言葉の印象②


同じ言葉であったとしても、聖書の箇所が違えば、受ける印象も違うはずです。それは一つの単語を単なる単語として捉えているのではなく、文章全体の印象をちゃんと把握しているからです。今目の前にある言葉の束は最初になんとなく感じた言葉の印象になっているはずです。自分自身がその単語をどのように理解しているかがわかってくるはずです。
同じ単語であっても、明るいイメージを持つ人もいれば暗いイメージを持つ人もいます。楽しい感覚を持っている人もいれば、怒りにも似た感情を持つ人もいます。同じ自分であっても、嫌なことがあった日と楽しく過ごした日では選ぶ単語も違うし、言葉に対する印象も違うのです。
<つづく>

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13言葉の印象①


聖書の登場人物になってみる方法は確かに面白いのですが、それも簡単ではありません。とにかく時間がかかります。わたしの能力でやってみたときに、全体を理解するのに1~2時間、イメージを作るのに1~2時間、文章を書くのに1~2時間、仕上げるのに1~2時間という感じでしょうか。1日中聖書を読んでいるわけにはいきませんので、短くても2~3日の作業になってしまいます。もっと簡単に感想をまとめる方法はないのでしょうか
印象的な単語を一つ選んでみます。どの単語でも構いません。印象的な単語が一つもなければ、目を閉じて、指で指した箇所でもいいかもしれません。聖書を何回か読んで、その箇所の印象を頭にいれたら、聖書を閉じて、その単語を紙に書いてみます。そしてその単語から連想する単語をどんどん書きだしていくのです。連想していくのですから、聖書の内容は意識しなくていいのです。自分が印象深いと思った単語を自分の中でどのように理解しているかが分かれば良いのです。
<つづく>

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12登場人物を通して自分を知る③


すべての登場人物に一度なってみましょう。いろんな自分がいることが発見できるはずです。最初のうちは話のつじつまが合わなくなって、考え直さないといけないことも多いのですが、何度も繰り返して、こういう試みをやっているうちに、自分が聖書の中の登場人物の一人になったかのように思えることがあります。その登場人物の行動が理解できるのです。
ただ、この理解は人によって違うはずです。読む人によって、その登場人物の行動が違うものになってしまいます。なぜなら、自分の分身を見ているからです。でもそれは悪いことではないはずです。自分自身を見つめ、自分がどんな行動をして、どんな罪を犯し、どのように神と向き合っているかが分かるからです。
自分のことをあまり知らない自分がいるということを知り、自分を客観的に眺めて、自分自身を知るために、聖書を読んでみるという読み方も面白いと思います。
<第12話おわり>

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12登場人物を通して自分を知る②


ちょっと視点を変えてみましょう。自分の心に映った登場人物をはっきりさせてみましょう。その人の背格好から、普段の暮らし、経歴、家族、職業はもちろん、価値観や、悩みに至るまで書きだしてみましょう。これは聖書の解釈ではありません。自分の心に映っている聖書を文章にしているだけなのです。当然事実ではありません。自分の心の中に映しだされた映像ですから、自分の分身のようなものだといってもいいかもしれません。
ある程度、その人物像がはっきりしてきたら、その人を動かしてみましょう。その文章の書かれている今から過去に遡り、未来へ進んでどんな行動をするのか客観的に観察してみるのです。そうすると、自分の価値観が見えてくるのです。自分の大切にしていることや、嫌いなこと、やってみたいこと、どうしてもやりたくないことなどがはっきり見えてきます。気が付いていなかった価値観もあり、驚くこともあります。自分の考えていることを意外にも自分自身が理解していないのです。
<つづく>

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12登場人物を通して自分を知る①


「聖書の一節を読んで思ったことを述べてください。」と言われても、そう簡単に出来る事ではありません。たいていの場合「うーん」とうなり、黙って時間が過ぎ去るのを待つしかありません。アニメーターの人から「さあ、さあ」とせかされればせかされるほど頭の中は真っ白になっていきます。
何も感じないわけではありません。この人はきっと優しい人だとか、気難しい人だろうとか、力の強い人だとか、すぐ泣く人だとかそんなことは思いつくのですが、なんだかすごく稚拙な感想であるように思えて、口にすることができません。登場人物の考えていることを想像してみたときに、そんなことを勝手に想像していいのだろうか、聖書の解釈というものがちゃんとあるのではないのだろうかと悩んでしまいます。
<つづく>

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11意見を聴く③


聖書のことばを聴くように心がけると、そこには新しい気づきがあります。字面からは肉声を聞いて感情を理解することもできませんし、表情を読み取ることもできません。しかし、言葉を心で受け止めるようにすれば、多くのことが伝わってくるのです。その言葉をずっとたどっていくと、その感情は自分の心の中に帰ってきます。そこには客観的な自分の心と主観的な自分の心との対話を見つけることができるのですが、さらに続けていくと自分の知らなかったものが見えてくることがあります。
神さまはいつも聖書を読むわたしたちの声を聞いて下さっています。わたしの意見を聴いて下さっています。遮ることなく、反対することもなく、全てを聴いてくださっているのです。
<第11話おわり>

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11意見を聴く②


聴くことによって相手の考えていることや気持ちを知ることができます。単に聞こえてきた言葉を文字どおり理解するのではなく、声の調子や高低を聞き分け、ちょっとした表情の変化を読み取り、言葉に表れない感情も理解しています。
その時、聴く人の態度が話す人に大きな影響を与えることを知っているでしょうか。聞く人が優しい表情でうなずきながら聞けば、話す人は心の奥底にあることを言葉にしやすくなります。聴く人が首を傾げて難しい表情をしていれば、話す人は心を閉ざしてしまい、口から出て行く言葉は表面的なものになっていきます。
対話の中で、相手の心の奥底にある言葉を引き出すのは聴き手の心ではなく、聴き手の態度であり、雰囲気だったのです。聴き手とは相手の話を聴いてあげる人ではありません。心から出た言葉を心で受け止める役割を担っているのです。相手の言葉を枠にはめず、聴き手の基準で評価せず、心を理解することが重要なのです。
<つづく>

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