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30聖書は生きるための教科書①


聖書にはいろんな人が登場します。罪を犯した人、葛藤に苦しんだ人、苦難に悩む人、約束を守れない人、挫折する人、裏切った人などさまざまです。それらの悩みや苦しみはわたしたちの苦しみそのものであったりします。成功した人の話はあまりありません。ヨブのような人であっても悩み苦しみました。ダビデも失敗をし、ソロモンも苦悩したのです。エリヤも死を望むほどに苦しみました。
成功した人の話よりも失敗した人の話の方が学ぶことが多いように思えます成功した話に共感したり、そこから学んだりすることはあまりないのかもしれません。失敗した人の話を通じて聖書が教えてくれることはたくさんあります。人との付き合い方や、仕事の仕方、苦しい時の心のありようや罪を犯した時の態度など、いろんな人が実体験をもって教えてくれています。そんな人たちが何を糧に生きていたのか、何を失ったから苦悩したのかを考えてみると、悩みや苦しみから自分自身を救い出す手がかりが得られるかもしれません。
自分の失敗は冷静に見つめ考えることができないのですが、人の失敗は冷静に判断し、もっと良い策をアドバイスすることができます。そのアドバイスを誰かに伝えようとしたとき、自分自身にかかるプレッシャーを感じて、自分のいつもの失敗を初めて認識できるような気がします。
<つづく>

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29みことばを心に留める③


みことばを毎日ひとつ心に留めて行動してみましょう。自分の心が少しずつほぐれていくのを実感できると思います。違った視点を導き出してくれることもあります。日頃悩んでいたことが、こんなところに道があったのかと気づかされることも多いのです。
好きなみことばを選んでもいいでしょうし、なんとなく惹かれる言葉を選んでもいいと思います。苦しい時に聖書を開いたら、なんとなくそのみことばが目についたというものでもいいでしょう。意味が分からなくて、ずっと考えてみたら、なんとなく覚えてしまったというみことばでもいいかもしれません。イエスさまは聖書を通して、答えを与えてくれることが多いのです。なんとなく誘導され、わたしたちにみことばを教えてくださっています。そのみことばを通してイエスさまはわたしたちに力を与えてくださっているのです。
<第29話終わり>

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29みことばを心に留める②


こんなにわからないことだらけなのに、そこには心を惹きつける何かがあります。「話にならない」とか「ちんぷんかんぷん」だとか「さっぱりわからない」と言って、切り捨てることのできない権威と魅力がその言葉には満ちあふれています。
わたしたちにできることは、そのイエスさまの言葉を心に留めておくことぐらいです。ずっと心にとどめておくと、実生活の中でふと気づくことがあります。わたしたちの視野が狭すぎて、何も見ていなかったことに気づかされたり、あまりにも心が頑なで、自分の考えが間違っていることに気づかなかったり、いつもと同じ行動を繰り返そうとして間違っていることに気づいたりするのです。
それがイエスさまの言われていることなのかどうかはさっぱり分かりませんが、不思議な気づきがあることは確かです。みことばは不思議な力を持って、わたしたちに気づきをあたえてくださるのです。
<つづく>

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29みことばを心に留める①


新約聖書を読んでいても、イエスさまの言われる意味がよくわからないことがあります。尋ねた人の質問に対する答えになっていないのではないだろうかと思うこともありますし、なぜこのような問いかけになってしまうのだろうtかと思うこともあり、ずいぶんと悩まされます。しかし、「これはおかしいでしょう」とは反論できない権威に満たされており、逆に深く考えさせられてしまいます。そして、考えれば考えるほど、分からなくなるのがイエスさまのみことばなのかもしれないと思えるのです。
不思議なのは、文章上は会話として成立していないのに、聖書の中でイエスさまと話している相手は納得しながら話しています。まるで相手の心を見透かして、問いかけていないことまで理解して答えを話しているかのようです。また、理解不能と思われる箇所もあります。具体的にどうしたらよいかわからない箇所もたくさんあります。イエスさまがわたしたちに何を期待しているのか、分からないことの方が多いかもしれません。
<つづく>

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28一人ひとり違う聖書②


どんなに頑張っても人それぞれ個性を持って生きているのですから、まったく同じものが見えるようになるとは思えません。人それぞれ視点も、視野も違うのですから、違うものを見ていることをお互いに認め合えばそれで済む話ではないのだろうかと思うのです。人間の生き方の正解は一つではないのです。同じ生き方など一つもないのですから、理解の仕方も人それぞれ違うはずなのです。
ただ、視点が違うことを認めて、お互いに分かち合えば、実りのない論争が、実り豊かなものに変わっていくのです。相手の視点を理解することができれば、自分自身は一つの視点を手に入れたことになります。今まで一点から見ていた出来事が、違った角度の出来事が加わり、薄っぺらい平面的だったものだったものが立体となって動き出します。今までよりも生き生きとしたものになるはずです。
聖書の理解に必要なのは文字の解釈ではないはずです。神さまの考えをほんの少しだけ理解し、自分の生き方を変えて、自分の出来る事で、神さまの仕事にほんの少しだけ協力し、神さまのみもとに少しでも近づくことができるようにと努力する、そのために聖書を読むのではないかと思うのです。
<第28話終わり>

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