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28一人ひとり違う聖書①


ときおり、聖書に書いてある解釈に対して個人的な見解の違いを議論し、正しいのはどちらだと論争する人がいるのですが、それは本当に必要なことなのでしょうか。わたしたちが聖書を読んで理解しようと思うと、心の窓を開いて読まなければいけません。わたしたちは聖書のことばを心の鏡に映してしか見ることができないのです。ところが、鏡の周りは深い霧に覆われ、鏡は曇り、しかも歪んでいるのです。こんな鏡を通してみていては、とても正しく知ることはできません。信仰が深くなるにつれて、心の霧は少しずつ晴れていくようです。気づきを分かち合うことによって鏡の曇りを消していくことができます。行動することによって鏡の歪みを直していくことができます。でも、どう頑張っても、イエスさまの心の鏡にはかないそうもありません。「わたしはその履物のひもを解く資格もない」と言ったヨハネの足下にすら遠く及ばないのです。だからと言って、鏡を磨くことを止めるわけにはいきません。正しく見えていないものを互いに批判し合うのではなく、心の中にある鏡のひずみを直し、曇りを消し、霧を晴らしていく仕事を一生涯続けなければなりません。
<つづく>

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27理解できない聖書②


人間の頭はたくさんのことを一度に処理できないようになっていることをいつも思い知らされます。普通の本ならそんなことをしなくても順に言葉を拾っていけば、頭の中に全体をイメージして理解して行けるのに、聖書だけはそういう訳に行かないのです。不思議なことですが、言葉を順に拾っていくだけでは理解できないのです。
全く理解できなかった最初のころと、今と何が違うのだろうと考えてみたとき、以前は頭で読み、論理的に考えていましたが、今は心で読み心で判断しようとしています。以前は神さまの業をどうしたら実現できるかと考えたのですが、今は神さまが今行っているわざはどんなわざなのだろうか知ろうとしています。以前は細かな文字の違いが気になったのですが、今はどのように書いてあっても、イメージで理解しようとしています。それにもまして、一番違うのは神さまの存在を信じ、神さまが人間に働きかけていることを認めていることでしょうか。物理的な事象を大事にし、信じられない現象は、起こり得ないと思っていたのですが、神さまのわざとして認めることができるようになったころから、聖書に書かれていることが少しずつ意味を成し始めたような気がします。単に出来事として文章を追っていくと、まったく面白くないし、まったく理解できません。しかし、神さまがそこにいると思って読むと、そこに神さまがおられるように見えてきます。神さまは人間を愛していると思って読むと、神さまが愛した人間の姿が見えてきます。ほんのちょっとした気持ちの違いでこうも理解が違うものかと思うのですが、視点が変わったことによって、聖書は興味深い読み物に変わったような気がします。
<第27話終わり>

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27理解できない聖書①


考えながら読むことのむずかしさをいつも痛感します。考えていると言葉が頭に入ってこないし、読むことに集中すると、考えていたことを忘れてしまいます。しかも書いてある言葉とは関係のない思いまで湧き上がってくるので、思いに集中すると、先に進めなくなります。以前は読むことに集中するようにしていたのですが、最近では考えることを優先するようになっています。それでもいつまでも考えているわけにもいかないし、時間がくればどこかでどちらもやめないといけないので、考えたことはできるだけ文字に落とすようにしています。とりあえず思いついたことをノートに書き留め、次々と思い浮かぶ関連したこともイメージもできるだけノートに書き残すようにしています。一通り書き終えたら、また聖書に戻って続きを読み始めるという感じです。ずっと覚えてられればよいのですが、それほど良い頭脳ではないようです。次の考えが浮かんで来たときにはたいがい最初の考えは忘れてしまっているのですが、書いておくと、ノートが覚えていてくれるので、もう一度思い出すことができます。安心して忘れることができ、集中して読むことができるようです。
<つづく>

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26お勧めの箇所を探してみる⑤


大事なことは自分の気持ちをちゃんと知って読むことだと思います。無理をして読んでも何も残りません。量的なことも考えておきましょう。100ページを超えるイザヤ書のような書もあれば、ヨハネの手紙3のように、1ページで終わる書もあるのです。読みたいとか考えたいという気持ちの強さに合わせて読む箇所を選ぶことも考慮しておきましょう。80年かかりそうなこの計画も意外に早く終わりを迎え、気が付いたら2回目の通読にチャレンジしているような気がします。そして、自分で作ったお勧めランキング表をまだ読んでいない人に教えてあげたり、通読を終わった人と分かち合いをしてみたりすると、またいろんな気づきが得られるような気がします。
<第26話終わり>

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26お勧めの箇所を探してみる④


聞いたことのある名前の人が書かれている書を選ぶ方法もありますが、一書を通して一人の人に焦点を当てていることは少ないので、これだと途中で興味を失うかもしれません。しかし、その場合でも○章×節~△章×節を読んだことと、そのときに思ったことを書き留めてはさんでおきましょう。
旧約39書、新約27書、続編13書なので、1年に1度機会が訪れると79年で通読できることになります。でも通読が進むうちに通読に失敗した書にもう一度チャレンジしてみようとか、前に読んだ書の続きを読みたいとか、まだ読んでいないところを制覇してみようとか思う機会が増えてくるはずです。
<つづく>

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