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010サタンを避けるための十戒


神さまはイスラエルの人たちに十戒を与えました。パウロが「人を生かすことができる律法が与えられたとするなら、確かに人は律法によって義とされたでしょう。」(ガラテヤ3:21)と言うように、これによって信仰が認められるわけではありません。だからと言って、「神の約束に反するもの」でもありません。「違犯を明らかにするために付け加えられたもの」なのです。それでは、違犯とは何を意味するのでしょうか。
神はサタンと戦い、人間を自分の手に取り戻そうと考えています。しかし、人間はサタンと戦えるような状態ではありません。まずはサタンを呼び寄せないこと。サタンから離れることが必要です。心の中に不安を残さないように生きることが大事なのです。十戒もこんな風には考えられないでしょうか。

1 神を愛し、戒めを守る者に、サタンは近寄ることができない。
2 神以外のものにひれ伏してはいけません。サタンはそこに潜んでいて、自分にひれ伏してくれる人を待ち受けています。
3 神の名を唱えるときは、心に不安を抱えている時です。そこにサタンは寄って来ます。みだりに唱えないようにしなさい。
4 緊張を解く安息日が必要です。経済活動を休み、欲望から離れて過ごせば、サタンに弱みを見せることなく、過ごすことができます。
5 人を呪えば、そこにサタンは寄ってきます。まずあなたの父母を敬いなさい。
6 人を殺せば、自分も殺される不安を抱えることになり、そこにサタンは寄ってきます。
7 姦淫すれば、自分の妻も姦淫される不安を抱えることになり、そこにサタンは寄ってきます。
8 盗めば、自分の財産も危険にさらされ、そこにサタンは寄ってきます。
9 隣人に関して偽証すれば、自分に対しても偽証される不安を抱えます。そこにサタンは寄ってきます。
10隣人のものを欲しがれば、自分の財産を欲しがる人の目が気になります。そこにサタンは寄ってきます。

神を畏れ、自分の前に神がおられることを意識すれば、罪を犯すことはありません。サタンを避けて暮らすようにと神は諭しているのではないでしょうか。

「サタン」を「闇」と置き換えても「悪」と置き換えてもよさそうです。
悪を知ってしまった私たちは、悪を退け、それを、善に変えて、神さまと隣人を愛する方に心を向けないといけないというところにつながるのでしょう。
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008 不安に襲われる時


不安を抱えて暮らしていたのはヤコブだけではありませんでした。ほとんどの人が不安を抱えて暮らしています。そして強い不安に襲われたとき、人間は冷静な判断をすることが難しくなります。思い込みが強くなり、他人の声が耳に入らなくなってきます。人はどうしていいかわからなくなってしまい、時に選択を間違ってしまいます。2者択一の選択であっても、良くない方を選んでしまいます。

モーセと向き合ったファラオはサタンの囁きに遭って、強い不安を覚えていました。エジプトの国が豊かになる一方で、増えたイスラエル人に国を乗っ取られるような気がしていてもたってもいられなくなっていました。イスラエル人を奴隷にしたのは彼らから自由を奪い、力を持たせないようにするためでしたが、増えるイスラエル人の脅威、豊かになるエジプトと、国が滅ぼされる恐怖が同居していました。何の根拠もない不安なのですが、人間の暮らしとはそのようなものかもしれません。イスラエル人を解放しても問題は解決しません。抑圧しても解決しません。人口を抑制しようと思ってもうまくいかない。ファラオは一日中得体の知れない影におびえて暮らさねばなりませんでした。

不安は人類の最初から付きまとっていました。アダムの息子、カインはどうだったのでしょう。弟アベルを殺した結果、その恐怖におびえながら暮らさねばなりませんでした。最初は知らないふりをしていたものの、アベルの顔がいつも目の前に浮かんできます。いつもアベルを殺したことが心の重荷となり、耐えきれない思いで毎日を過ごします。神の庇護を求めますが、カインは罪を背負って暮らすことを命じられます。神はカインが殺されないようにとしるしをつけられましたが、そのしるしはカインがアベルを殺したというしるしそのものとなり、結局不安は解消されないまま一生を過ごしたであろうと思えます。カインはサタンに唆されて嫉妬し、その結果は不安であり、恐怖でした。

モーセはファラオと交渉し、神さまに導かれた結果、イスラエル人は無事エジプトを脱出しましたが、待ち受けていたのは不安でした。シナイ山のふもとでは指導者も姿を隠し、頼る者がいなくなってしまいました。不安を解消するために造ったのが金の子牛でした。

これらの人たちは、ヤコブと何が違ったのでしょうか?行動が衝動的かどうかぐらいの違いしか見つかりません。しかし、判断をするときに思慮分別を失った状態では、正しい判断を行うことができません。不安に耐えて、神さまのみこころを探さなければなりません。イエスさまでさえも、ゲッセマネに行くときは不安で仕方なかったのだと思います。弟子を連れて行ったのは、これから起こることに立ち向かうことが不安で仕方なかったのです。でも、神さまに祈ることによって、不安を乗り越えたのです。

不安な時は耐えるしかなかったのですが、イエスさまはわたしたちに祈ることを教えてくださいました。不安な時、傍にはサタンが近づき私たちに囁いていますが、神さまに祈ることによって、サタンに立ち向かい、惑わされずに正しい選択を選び取ることができます。イエスさまはわたしたちに、サタンに立ち向かい戦うための武器として祈りを与えてくださったのです。

ギタンジャリ102

「わたし」は「あなた」を知っています。
「わたし」が絵を描くときにはかならず「あなた」を描きます。
歌を作るときは「あなた」を歌います。
「わたし」の絵を見た人は「これは誰」と聞くのですが、
これを「あなた」だと説明して分かってもらうことが難しいことに気づきました。
神さまを見たとか神さまを知っているとか言えば、「本当か」と疑われて信じてもらえません。
「わたし」の主と言っても、「主とは誰」と聞かれるでしょう。
大切な人だと説明しても「それはどこにいるのか」と聞かれてしまうでしょう。
どのように説明しても理解してもらえないのです。
「実は言えないのです」という答えしかできませんでした。
尋ねた人ははぐらかされ、馬鹿にされたと思い、こんどはわたしを馬鹿にし、非難して立ち去ります。
「あなた」はそこで座っているのに、誰も気づかずに立ち去っていくのです。
歌を作ってもまた、ここに歌われている人は誰と聞いてきます。
結局同じことの繰り返しです。

ギタンジャリ70

このリズムに合わせて喜び、歓喜の渦に呑み込まれ、砕けることが、天の国への道に通じています。
この世界の鼓動は「わたし」の喜びにつながっているのです。
この鼓動は生きている証しでもあるのですが、天の国につながる流れでもあるのです。
万物は突き進み、止まることはありません。
振り返ってみることはできないし、どんな力も止めることはできません。
絶え間なくテンポの速い音楽にステップを合わせて、季節は踊り来て、過ぎ去って行きます。
その時代の色も、音色も、香りも、果てしない滝の中に注がれ、
その瞬間毎に満ち溢れた喜びの中ではじけ、諦めて、消え去っていきます。
日々あなたのために生きることがあなたの元へとつき進む流れだったのです。
流れに逆らって進むことはできません。万物は流れていきます。
季節も時も同じように流れていくのです。

ギタンジャリ69

夜も昼も、わたしの静脈を流れるのと同じように命の流れが世界中を駆け巡り、リズムに合わせて踊っています。
この世界は「あなた」そのものです。
それは大地の塵を通る喜びの中に数えきれないほどの草の葉を噴き出させ、
葉や花のざわざわと波立たせます。
それがわたしたちの命と同じ命を宿しています。
わたしの身体に血管が巡らされて、命を保っていますが、
それと同じように「あなた」の世界もまた「わたし」たちの命が巡っています。
「わたし」たち人間の命だけではありません。
草木や動物たちの命もそのひとつですし、風や光の流れ、潮の満ち干や海のうねりもそうなのです。
誕生と死の満ち干を司る、海のゆりかごに揺られている同じ命なのです。
命の世界に触れることで、わたしは手足の先にまであなたの栄光を受けることができるのです。
そしてわたしの誇りは、この瞬間にわたしの血の中で踊っている時代の命の鼓動から来ているものなのです。
「わたし」の体で心臓が鼓動し、体中に血液が巡るように、この世界もまた鼓動し、命が巡っているのです。
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